原理原則ゴルフ

コース設計の原理/コースガイド

東京ゴルフ倶楽部

埼玉県狭山市/開場1940年

日本最古級のゴルフクラブの一つ。駒沢から朝霞、そして現在地の狭山へと移転を重ねてきた歴史を持ち、1930年に朝霞コース設計のため来日したC.H.アリソンとの出会いが、後に日本人設計家の第一人者となる井上誠一がコース設計の道を志すきっかけになったと伝えられている。

東京ゴルフ倶楽部は、駒沢での地代値上げ問題を機に埼玉県膝折村(現・朝霞市周辺)へ移転し、「朝霞コース」として開場した。この朝霞コースの設計のため1930年に来日したのが、後に廣野ゴルフ倶楽部を手がけることになるイギリスの設計家C.H.アリソンである。当時アリソンの仕事ぶりを間近で見た井上誠一が「面白そうだ、僕もやってみよう」と思い立ち、後に日本を代表するコース設計家の道を歩み始めたという逸話が伝えられている。

朝霞コースはしかしわずか8年ほどで姿を消し、1940年(昭和15年)、埼玉県狭山でほぼ建設を終えていた秩父カントリー倶楽部と合併するかたちで再び移転した。これが現在の東京ゴルフ倶楽部の所在地である。このように東京ゴルフ倶楽部は「駒沢→朝霞→狭山」という複数回の移転・合併を経ており、現在のコースレイアウトを直接設計した人物については、本セッションでは十分な裏付けが取れなかったため、designerSlugsには特定の設計家を記載していない。朝霞時代のクラブハウスはチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドが設計し、「東洋一のゴルフコース」と評されたと伝えられているが、これは現存する狭山の施設とは別のものである点に注意が必要である。

コース全体のルーティング概観

東京ゴルフ倶楽部のホールルーティング模式図
公開されている情報をもとに作成したオリジナルの簡易模式図です。実測に基づく精密な測量図ではありません。

出典:鹿島建設「東京ゴルフ倶楽部朝霞コース―日本初の常緑芝のゴルフ場」、東京ゴルフ倶楽部公式サイト「歴史」、Wikipedia「東京ゴルフ倶楽部」「井上誠一」、霞ヶ関カンツリー倶楽部Digital Museum等をもとに構成。狭山移転後の現行コースの設計者・改修履歴の詳細は複数資料での裏付けが取れなかったため断定を避けた。