コース設計の原理/設計家名鑑
赤星四郎
1895 - 1971
実業家・赤星弥之助の四男。弟の赤星六郎とともにアマチュア時代から活躍し、C.H.アリソンの来日に影響を受けてコース設計に進んだ。代表作は函館ゴルフ倶楽部(1936年、単独設計としては最初とされる)、箱根カントリー倶楽部、御殿場ゴルフ倶楽部。霞ヶ関カンツリー倶楽部(東コース)にも関わったが、中心的な設計者は藤田欽哉とされる。
代表作:函館ゴルフ倶楽部、箱根カントリー倶楽部、御殿場ゴルフ倶楽部
赤星四郎は実業家・赤星弥之助の四男として東京・鳥居坂に生まれた。実兄に実業家の赤星鉄馬、実弟に同じくゴルフ設計家として知られる赤星六郎がいる。渡米してローレンスビル・スクール、ペンシルベニア大学(アメリカンフットボール選手として活躍)で学び、1921年に帰国。1926年に日本アマチュア選手権優勝、1927年の第1回日本オープンでは4位(優勝は弟の六郎)と、アマチュアゴルファーとしても実績を残した。
コース設計家としては、1930年のC.H.アリソン来日に強い影響を受けたとされる。単独設計として確認できる最初の作品は1936年開場の函館ゴルフ倶楽部で、その後箱根カントリー倶楽部(1954年)、御殿場ゴルフ倶楽部(1971年)などを手がけた。
霞ヶ関カンツリー倶楽部(東コース)については、赤星四郎の関与を代表作として紹介する資料も見られるが、複数の情報源を確認すると、中心的な設計者は藤田欽哉であり、赤星四郎はこれに協力・関与する立場だったとする記述が多い(ゴルフダイジェスト社のコース紹介では両者連名で紹介されている)。なお同倶楽部の西コースは1932年開場で井上誠一の設計であり、東コースとは設計者・時期がともに異なる。両者の正確な役割分担までは一次資料で確認できなかったため、本記事では「藤田欽哉を中心に赤星四郎も関与した」という書き方にとどめている。
コースガイド
我孫子ゴルフ倶楽部
利根川と手賀沼に挟まれた立地に、アマチュアながら当時の日本ゴルフ界を代表する選手であった赤星四郎・赤星六郎兄弟が設計した林間コース。無数の顎の高いバンカーから「バンカーの我孫子」の異名で知られ、日本オープン等主要競技の舞台を繰り返し務めてきた。
程ヶ谷カントリー倶楽部
1922年(大正11年)開場、日本初の本格的な18ホール・チャンピオンコースとされる横浜市の名門コース。1927年の第1回日本オープンゴルフ選手権の開催地となった。
霞ヶ関カンツリー倶楽部 東コース
1929年(昭和4年)10月6日開場、埼玉県内初のゴルフ場とされる。藤田欽哉・赤星四郎による設計にC.H.アリソンが関わったと伝えられ、1957年にはカナダカップ(現ワールドカップ)を日本で初開催、2021年(2020年東京オリンピック延期開催)のゴルフ競技会場にもなった。
函館ゴルフ倶楽部
1927年(昭和2年)開場、北海道最古とされる手造りのゴルフ場。1936年に赤星四郎が設計を手がけた9ホールコースが開場し、1964年の新コース開場時にも赤星が携わったと伝えられる。
出典:Wikipedia日本語版「赤星四郎」「霞ヶ関カンツリー倶楽部」、ゴルフダイジェスト社コース紹介等をもとに構成。霞ヶ関東コースでの役割分担の詳細は一次資料未確認。