コース設計の原理/比較
馬とホイールバローの時代から、ブルドーザーの時代へ——コース造成手法の転換が設計に与えた影響
ゴールデンエイジのコースは馬とスコップで造成されたが、戦後は重機械の普及がコース規模と設計そのものを変えた。造成手法の転換が「ターゲットゴルフ」という設計思想を生んだ経緯を比較する。
ゴールデンエイジ——馬とホイールバローの造成
1920年代のコース造成は、現代の重機械ではなく馬・ラバとホイールバロー、フレズノ・スクレーパーによる人力中心の作業だったとされる。ある工事では18頭の馬とラバのチームが動員され、雑草の根はホイールバロー一杯ずつ手作業で取り除かれたと伝えられている。この制約の中では、大規模な土の移動よりも既存の地形を生かすルーティングが現実的な選択肢だったとされる。ただし例外もあり、セス・レイナーと組んだチャールズ・バンクスは「スチーム・ショベル(蒸気ショベル)・バンクス」と呼ばれるほど早くから機械を使い、盛土の大きなグリーンや深いバンカーを造ったとされる。
戦後——重機械の普及と「ターゲットゴルフ」の誕生
1945〜75年頃、コース造成の機械化が急速に進み、それ以前より規模の大きいコースが可能になったとされる。滑らかで大ぶりなマウンドがグリーン・バンカー・フェアウェイ周りに現れるようになったのもこの時期とされる。ロバート・トレント・ジョーンズ・シニアが手がけた1948年のピーチツリー・ゴルフクラブは、戦後を象徴する「力強く彫り込まれた」パワーゴルフの外観を確立したと評されている。「ターゲットゴルフ」という語自体の明確な初出は特定できていないが、1982年にニューヨーク・タイムズ紙がTPCソーヤーズ・グリーンのスタジアム・コースを報じた際の使用が早い例として挙げられている。
造成手法と設計思想は表裏一体
地形を生かすしかなかったゴールデンエイジの制約と、地形を自在に作り変えられる戦後の技術力は、そのまま両時代の設計思想の違いに直結しているとされる。どちらが優れているかという評価軸ではなく、使える道具が変われば「良いコース」の定義自体が変わりうるという事例として捉えられている。
関連記事:トム・ファジオの設計。
よくある質問
- ゴールデンエイジのコースはどうやって造成されていたのですか?
- 馬やラバ、ホイールバロー、フレズノ・スクレーパーなどを使った人力中心の作業だったとされます。ある工事では18頭の馬とラバが動員され、雑草の根も手作業で取り除かれたと伝えられています。
- 「ターゲットゴルフ」という言葉はいつ頃から使われていますか?
- 明確な初出は特定できていませんが、1982年のニューヨーク・タイムズ紙がTPCソーヤーズ・グリーンのスタジアム・コースを報じた記事が早い使用例とされています。戦後の重機械による造成の大規模化と関連づけて語られることが多い語です。
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