コース設計の原理/比較
「移植」か「隠蔽」か——テンプレートホールとカモフラージュ設計、二つのゴールデンエイジ
C.B.マクドナルドとセス・レイナーは名ホールの型を各地に「移植」し、アリスター・マッケンジーは人工物を自然に「隠す」ことを追求した。同じゴールデンエイジに並存した対照的な設計思想を比較する。
テンプレートホール——名ホールの「型」を移植する
C.B.マクドナルドは1901年の『Golf Illustrated』誌上の議論をきっかけに、1902・1904・1906年の英国視察でリダン・アルプス・ビアリッツなど著名ホールのスケッチと測量を重ねたとされる。その過程で「優れたホールをそのまま複製しても、地形が異なれば同じ効果は再現できない」と気づき、ホール全体の複製ではなく戦略的な特徴・機能だけを抽出して別の土地に移植する手法へと転換したとされる。この考え方は1911年のナショナル・ゴルフ・リンクス・オブ・アメリカで結実し、弟子のセス・レイナーやチャールズ・バンクスに引き継がれた。
カモフラージュ——人工物を自然に「隠す」
一方でアリスター・マッケンジーは、自著『Golf Architecture』(1920年)の中で「すべての人工的な要素は、見知らぬ人が自然そのものと見分けられないほど自然な外観を持つべきだ」と明記しているとされる。第一次大戦での軍事カモフラージュの経験が、この設計哲学に影響を与えたとされる。名ホールの型を移植するマクドナルド流とは対照的に、マッケンジーは敷地固有の地形をそのまま生かし、造成の痕跡を消すことを重視した。
同じ時代に並存した二つの答え
両者は同じゴールデンエイジ(1910〜30年代)に活動しながら、「良い設計とは何か」という問いに正反対の方法で答えたとされる。テンプレートホールの大胆な造成とカモフラージュの徹底した自然主義は、どちらか一方が優れているというより、その後のコース設計に並行して受け継がれる二つの系譜になったとされる。
関連記事:マッケンジーの迷彩の設計哲学。
よくある質問
- テンプレートホールとカモフラージュ設計、どちらがゴールデンエイジの主流でしたか?
- 優劣ではなく並存する二つの潮流として語られることが多いです。マクドナルド・レイナー系は著名ホールの型を移植する大胆な造成を特徴とし、マッケンジーは人工物を自然に溶け込ませることを重視しました。
- マッケンジーの自然主義はどこから来た考え方ですか?
- 本人の著書『Golf Architecture』(1920年)に、人工的要素は自然と見分けがつかないようにすべきだという原則が明記されています。第一次大戦時の軍事カモフラージュ経験の影響も指摘されています。
関連記事
- 迷彩の発想はどうコース設計に変わったのか——アリスター・マッケンジーの設計哲学
軍医からコース設計家に転じたアリスター・マッケンジー。彼の設計哲学の土台には、ボーア戦争での偽装(カモフラージュ)研究があったとされる。その経歴と思想を追う。
- なぜわずか数週間の滞在で名コースが生まれたのか——マッケンジーのルーティング設計術
1926年、アリスター・マッケンジーはオーストラリアに短期間滞在しただけで、ロイヤル・メルボルンをはじめ複数のコース設計・改修に関わった。現地の名手アレックス・ラッセルへ自らの設計思想を伝え、短時間でルーティングの骨格を仕上げるという設計手法から、マッケンジーの仕事の進め方を読み解く。
- なぜオーガスタ・ナショナルは「セカンドショットのコース」と呼ばれるのか——マッケンジーとジョーンズの実打検証
1930年にグランドスラムを達成したボビー・ジョーンズと設計家アリスター・マッケンジーは、なぜ「内陸のリンクス」を目指したのか。ほぼ全ホールに用意された複数ルートという設計思想と、ジョーンズ自身が数百球を打って検証したという設計プロセスから、マスターズ会場の戦略性の原理を読み解く。
- 16番パー3はなぜ生まれたのか——マッケンジーが手柄を譲った「不可能な一打」
ゴルフ界で最も有名なパー3とされるサイプレス・ポイント16番。設計者とされるアリスター・マッケンジー自身が「このホールの手柄は自分にはない」と語ったとされる相手は、女性ゴルファーでありゴルフ界の実力者でもあったマリオン・ホリンズだった。
- 馬とホイールバローの時代から、ブルドーザーの時代へ——コース造成手法の転換が設計に与えた影響
ゴールデンエイジのコースは馬とスコップで造成されたが、戦後は重機械の普及がコース規模と設計そのものを変えた。造成手法の転換が「ターゲットゴルフ」という設計思想を生んだ経緯を比較する。
関連コンテンツ