コース設計の原理/変遷史
なぜわずか数週間の滞在で名コースが生まれたのか——マッケンジーのルーティング設計術
1926年、アリスター・マッケンジーはオーストラリアに短期間滞在しただけで、ロイヤル・メルボルンをはじめ複数のコース設計・改修に関わった。現地の名手アレックス・ラッセルへ自らの設計思想を伝え、短時間でルーティングの骨格を仕上げるという設計手法から、マッケンジーの仕事の進め方を読み解く。
1926年、短期集中のオーストラリア訪問
アリスター・マッケンジーは1926年10月25日にメルボルンへ到着し、限られた滞在期間の中でロイヤル・メルボルン・ゴルフクラブ ウエストコースのルーティング設計をまとめ上げたとされる。オーガスタ・ナショナルのように数年をかけて作り込んだプロジェクトとは対照的に、現地滞在はわずか数週間規模だったと伝えられており、マッケンジーは限られた時間の中でコース全体の骨格を描き切る能力に長けた設計家だったことがうかがえる。
現地の競技者に思想を託すという手法
実際の建設と細部の仕上げを担ったのは、オーストラリアの競技ゴルファーであり設計家でもあったアレックス・ラッセルと、グリーンキーパーのミック・モーコムだった。マッケンジーは自ら現地を去る前に、グリーンやバンカーの作り方についてラッセルらへ直接指導を行ったとされ、ルーティングという設計の骨格を自ら描き、施工の細部を信頼できる現地の担い手に託すという分業体制を取っていたことがわかる。この手法は、マッケンジーが世界各地で数多くの設計プロジェクトに携わることを可能にした一因だったと考えられる。
短期集中の設計と、後に残る哲学
マッケンジーは同じオーストラリア訪問の期間中、ロイヤル・アデレードやニュー・サウス・ウェールズなど複数のコースの改修にも短期間で関わったとされ、「短時間でルーティングの本質を見抜き、施工は現地の信頼できる担い手に委ねる」という仕事の進め方が、彼の代表作である『Golf Architecture』(1920年)や没後発見の『The Spirit of St Andrews』にまとめられた設計思想と重なり合う。ロイヤル・メルボルン ウエストコースが今日もオーストラリア国内トップの評価を受け続けているのは、この短期集中の設計プロセスの中に、マッケンジーの哲学の本質が凝縮されていたことを示している。
よくある質問
- マッケンジーはロイヤル・メルボルンの建設そのものに関わったのですか?
- マッケンジーが担ったのは主にルーティング(コース全体の設計の骨格)で、実際の建設・施工は現地のアレックス・ラッセルとグリーンキーパーのミック・モーコムが担当したとされています。
- マッケンジーはオーストラリアで他にもコースに関わりましたか?
- 同じ訪問期間中にロイヤル・アデレードやニュー・サウス・ウェールズなど、複数のコースの改修に短期間で関わったとされています。
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