コース設計の原理/変遷史
なぜマッケンジーとマクスウェルの共同設計は珍しいのか——クリスタル・ダウンズの成り立ち
1929年、アリスター・マッケンジーとペリー・マクスウェルという、それぞれ単独でも名作を残した設計家がミシガン州の湖畔で手を組んだ。二人の共同設計によって生まれたクリスタル・ダウンズの成り立ちを追う。
1929年、二大巨匠の共同設計
クリスタル・ダウンズ・カントリークラブはアリスター・マッケンジーとペリー・マクスウェルの共同設計により1929年に開場したとされる。オーガスタ・ナショナルの共同設計者であるマッケンジーと、後にオーガスタのグリーン改修などを手がけることになるマクスウェルが、同じプロジェクトに名を連ねた点は特筆に値するという。
ミシガン湖とクリスタル湖を望む立地
コースはミシガン湖とクリスタル湖の両方を望む景観に優れた立地にあり、「スリーピング・ベア・デューンズ国立レイクショア」のすぐ東に位置しているとされる。パー70、6,518ヤードという規模は、決して長大ではないものの、地形を活かした設計により高い評価を受けてきたという。
遠隔地ゆえに大会開催が少ない名コース
クリスタル・ダウンズは全米で常に上位にランクされる評価を受けてきたとされるが、遠隔地にあるため、1991年の全米シニアアマチュア以外に大きな大会の開催実績はほとんどないと伝えられている。知名度よりも設計そのものの完成度で評価されてきたコースの一例だといえる。
よくある質問
- クリスタル・ダウンズは誰が設計したのですか?
- アリスター・マッケンジーとペリー・マクスウェルの共同設計により1929年に開場したとされています。
- なぜ大きな大会があまり開催されていないのですか?
- ミシガン州の遠隔地にあるため、1991年の全米シニアアマチュア以外に大きな大会の開催実績はほとんどないと伝えられています。
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