コース設計の原理/変遷史
なぜ廃飛行場の跡地が「五大湖のリンクス」に生まれ変わったのか——ホエーリング・ストレイツの造成史
かつて放棄された飛行場、そして原子力発電所計画の候補地。ミシガン湖畔の平坦な土地が、約80万立方ヤードの土砂移動を経てリンクスコースに変わった経緯を追う。
飛行場から発電所候補地へ
ホエーリング・ストレイツ(ストレイツ・コース)が建設された土地は、もともと「キャンプ・ヘイヴン」と呼ばれ、1949年から1959年まで運用されていた放棄飛行場だったとされる。1970年代には電力会社ウィスコンシン・エレクトリックが原子力発電所の建設を計画したが、地元の反対により中止になったとされる。1990年代初頭、コーラー社がこの土地を取得したとされる。
ピート・ダイ夫妻による造成
コーラー社CEOのハーバート・コーラーの依頼を受け、ピート・ダイとアリス・ダイが設計を手がけ、ストレイツ・コースは1998年、アイリッシュ・コースは2000年に開場したとされる。コンセプトは「古代の英国・アイルランドの海辺リンクスコースの再現」だったとされ、ミシガン湖沿い約2マイルの海岸線に沿って8ホールが湖に面する構成となっているとされる。
約80万立方ヤードの造成
平坦だった土地を起伏に富んだリンクス風の地形に変えるため、建設時には約800,000立方ヤードの土砂が移動されたとされる。スコットランド原種のブラックフェイス種の羊や、石造りの橋3基が配置され、約80フィート(約24メートル)の人工的な標高差がつくられたとされる。自然発生的な地形をほぼそのまま活かしたサンドヒルズとは対照的に、大規模な人工造成によって「自然に見えるリンクス」を作り出した事例といえる。
関連記事:バンドン・デューンズの原点、キアワ島オーシャンコースの設計。
よくある質問
- ホエーリング・ストレイツの土地はもともと何に使われていましたか?
- 1949年から1959年まで運用された放棄飛行場だったとされ、1970年代には原子力発電所の建設計画の候補地にもなったとされます。
- 建設ではどれくらいの土砂が動かされましたか?
- 平坦な土地をリンクス風の地形に変えるため、約800,000立方ヤードの土砂が移動されたとされます。
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