コース設計の原理/変遷史
迷彩の発想はどうコース設計に変わったのか——アリスター・マッケンジーの設計哲学
軍医からコース設計家に転じたアリスター・マッケンジー。彼の設計哲学の土台には、ボーア戦争での偽装(カモフラージュ)研究があったとされる。その経歴と思想を追う。
軍医から設計家への転身
アリスター・マッケンジーは、もともと医師として教育を受け、第二次ボーア戦争に軍医として従軍したとされる。この従軍中に、ボーア軍が地形を巧みに利用して身を隠す偽装(カモフラージュ)技術に触れたことが、後の設計思想に影響を与えたとされる。第一次世界大戦時にも英軍のカモフラージュ将校を務めたとされ、自然に溶け込む造形への関心は、こうした経歴と結びつけて語られることが多いとされる。
自然に溶け込むバンカーとグリーン
マッケンジーが手がけたバンカーは、人工物であることを感じさせない不規則な輪郭を持つことが多いと評されるとされ、遠目には自然の地形の一部のように見えるよう設計されたとされる。この「人工を自然に見せる」という発想が、彼の設計哲学の中核として語られることが多いとされる。
オーガスタ・ナショナルへ
この設計哲学は、ボビー・ジョーンズと共同で手がけたオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブにも反映されたとされる。マッケンジー自身は同コースの完成前に死去しており、最終的な姿にどこまで彼の当初の構想が反映されたかについては議論の余地があるとされる。マッケンジーが体系的な設計原則を著書として残したことは知られているが、その具体的な項目内容を裏付ける一次資料へのアクセスは今回の調査では確認できておらず、個別の原則を列挙することは避けるべきとされる。
関連記事:オーガスタ・ナショナルが「セカンドショットのコース」と呼ばれる理由、サイプレスポイント16番パー3の成り立ち、マッケンジーのロイヤルメルボルンでのルーティング、テンプレートホールとカモフラージュ設計の比較。
よくある質問
- マッケンジーの設計思想にはどのような経歴が影響したとされますか?
- ボーア戦争や第一次世界大戦で軍医・カモフラージュ将校を務めた経験が、自然の地形に溶け込む造形への関心につながったとされます。
- マッケンジーはオーガスタ・ナショナルの完成を見届けましたか?
- マッケンジーは同コースの完成前に死去したとされ、最終的な姿にどこまで彼の当初の構想が反映されたかについては議論の余地があるとされます。
関連記事
- なぜオーガスタ・ナショナルは「セカンドショットのコース」と呼ばれるのか——マッケンジーとジョーンズの実打検証
1930年にグランドスラムを達成したボビー・ジョーンズと設計家アリスター・マッケンジーは、なぜ「内陸のリンクス」を目指したのか。ほぼ全ホールに用意された複数ルートという設計思想と、ジョーンズ自身が数百球を打って検証したという設計プロセスから、マスターズ会場の戦略性の原理を読み解く。
- なぜわずか数週間の滞在で名コースが生まれたのか——マッケンジーのルーティング設計術
1926年、アリスター・マッケンジーはオーストラリアに短期間滞在しただけで、ロイヤル・メルボルンをはじめ複数のコース設計・改修に関わった。現地の名手アレックス・ラッセルへ自らの設計思想を伝え、短時間でルーティングの骨格を仕上げるという設計手法から、マッケンジーの仕事の進め方を読み解く。
- 「移植」か「隠蔽」か——テンプレートホールとカモフラージュ設計、二つのゴールデンエイジ
C.B.マクドナルドとセス・レイナーは名ホールの型を各地に「移植」し、アリスター・マッケンジーは人工物を自然に「隠す」ことを追求した。同じゴールデンエイジに並存した対照的な設計思想を比較する。
- なぜ「戦略的設計」はゴルフコース設計思想の主流になったのか——懲罰的設計との対比
ミスを罰する「懲罰的設計」と、選択肢を用意する「戦略的設計」。ゴールデンエイジ以降のコース設計思想を二分してきたとされるこの対立軸は、何を根拠に語られてきたのか。
- なぜ1910〜30年代は「ゴルフコース設計の黄金時代」と呼ばれるのか
1910年代から1930年代にかけて、後世まで名コースとして語り継がれる設計が集中的に生まれたとされる時期は「ゴールデンエイジ」と呼ばれる。この時代区分は何を根拠に語られているのか。
関連コンテンツ