クラブの原理/変遷史
なぜタイヤメーカーがゴルフクラブを作るのか——ブリヂストンスポーツの多角化変遷史
自動車用タイヤの製造技術と、ゴルフクラブ・ボールの製造には、一見すると接点がないように見える。ブリヂストンがタイヤ事業からゴルフ用品事業へと多角化していった経緯と、その背景にある技術的な必然性を解説する。
タイヤメーカー設立の翌年に始まった技術習得
ブリヂストンのゴルフ用品事業は、1931年のブリッヂストンタイヤ設立から間もない1932年、技師を欧米に派遣してゴルフボールの製造法を習得させたことに始まるとされる。1934年には福岡県久留米工場でゴルフボールの試作を開始し、1935年に国産第1号となるゴルフボールの販売にこぎつけた。
ゴム製品の精密加工技術という共通基盤
タイヤメーカーがゴルフ用品に参入した背景には、高精度なゴム製品を大量生産する製造技術が、ゴルフボールのコア・カバー構造や、後年のクラブ製造にも応用できるという技術的な必然性があったとされる。あわせて、ゴルフと自動車という顧客層の親和性による相乗効果も、多角化を後押しした理由として語られることが多い。
トーナメント主催と総合ゴルフメーカーへの転換
1970年には第1回「ブリヂストンゴルフトーナメント」(現ブリヂストンオープンゴルフトーナメント)を開催し、ゴルフ用品ブランドとしての存在感を競技面でも高めていった。1972年には米クエスター社と合弁契約を締結して「ブリヂストン・スポルディング」を設立しスポーツ用品事業へ本格進出、1993年にはスポーツ関連用品事業を「ブリヂストンスポーツ株式会社」に統合し、ボール専業メーカーからクラブを含む総合ゴルフメーカーへと転換を果たした。なお、この間のクエスター社との資本関係の解消時期など詳細な経緯については、本記事作成時点で一次資料による裏付けまでは確認できていない。タイヤ製造で培った素材工学の知見は、現在の「TOUR B」シリーズをはじめとするクラブ・ボール開発にも受け継がれているとされる。
関連記事:本間ゴルフの変遷史、ブリヂストンTOUR Bの開発思想。
よくある質問
- ブリヂストンがゴルフ事業に参入したのはいつですか?
- タイヤメーカー設立の翌年にあたる1932年、技師を欧米に派遣してゴルフボールの製造法を習得させたのが始まりとされ、1935年に国産第1号ボールの販売を開始しました。
- タイヤの技術はゴルフ用品にどう活かされたのですか?
- 高精度なゴム製品を大量生産する製造技術が、ゴルフボールのコア・カバー構造の開発に応用できたことが、多角化を後押しした技術的な背景とされています。
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