クラブの原理/変遷史
なぜ「鉄のウッド」は非常識と笑われたのか——TaylorMadeが起こした金属ウッド革命
1979年まで、ゴルフのウッドは文字通り「木(パーシモン)」で作られるのが常識だった。ゴルフ用品の営業マンだったGary Adamsが自宅を担保に開発した1本のステンレス製ドライバーが、なぜこの常識を覆したのかを解説する。
パーシモンが当たり前だった時代への疑問
1979年以前、ゴルフのウッドクラブはパーシモン(柿の木)で作られるのが業界の常識だった。ゴルフレンジ用品の営業マンだったGary Adamsは、当時登場し始めていた新型2ピースボールが、アイアンでは明らかに飛距離を伸ばすのに、パーシモン製ウッドでは同じような効果が出ていないことに着目した。木材の性質上、フェースを薄く均一に加工することには限界があり、素材そのものを変えなければこの壁は超えられないと考えたとされる。
自宅を担保にした賭け
Adamsはこの仮説を検証するため、自宅を担保に24,000ドルの融資を受け、イリノイ州マキヘンリーの倉庫でステンレス製ドライバーの開発に着手した。完成した製品は、工業都市ピッツバーグへのオマージュとして「Pittsburgh Persimmon」と名付けられ、ロフト角12度で1979年のPGAマーチャンダイズショー(オーランド)で発表された。「鉄でできたウッド」という矛盾した響きの製品は当初、業界内で懐疑的に受け止められたと伝えられているが、金属素材ならではの薄いフェースと均一な肉厚により、パーシモンでは実現できなかった反発性能を引き出すことに成功した。
47,000ドルから10億ドルブランドへ
発売初年度である1979年の売上は47,000ドルにとどまったが、金属ウッドという新しいカテゴリーはその後のゴルフ用品市場を根底から塗り替えていくことになる。TaylorMadeは2006年、年間売上高10億ドルを達成し、ゴルフブランドとしては史上2例目の到達となったとされる。木材からステンレス、その後のチタン合金へという素材転換の起点に、Adamsが自宅を担保にしてまで検証した「金属フェースの均一性」という一つの仮説があった。
よくある質問
- なぜ最初の金属ウッドは「Pittsburgh Persimmon」という名前だったのですか?
- 素材であるステンレス鋼の産地として知られる工業都市ピッツバーグへのオマージュとして名付けられたとされています。パーシモン(柿の木)という従来素材の名を残しつつ、金属製であることを示す名称になっています。
- 金属ウッドが登場する前は、なぜ木製だったのですか?
- 耐久性や打感の面で長年パーシモン(柿の木)が主流素材とされてきましたが、木材はフェースを均一かつ極薄に加工することに限界があり、反発性能を高めるうえでの制約になっていたと考えられています。
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