コース設計の原理/設計家名鑑
井上誠一
1908 - 1981
「東の井上誠一、西の上田治」と並び称される、日本を代表するゴルフコース設計家。C.H.アリソンの通訳・助手を務めた経験から設計の道に進み、生涯で約40コースを手がけた。代表作は霞ヶ関カンツリー倶楽部(西コース)、大洗ゴルフ倶楽部、龍ケ崎カントリー倶楽部など。
代表作:霞ヶ関カンツリー倶楽部(西コース)、大洗ゴルフ倶楽部、龍ケ崎カントリー倶楽部
井上誠一は1908年、東京・赤坂の眼科医の家に生まれた。成蹊高等学校在学中に嗜眠性脳炎を患い、療養のためにゴルフを始めたことがきっかけで、ゴルフと深く関わる人生を歩むことになる。1930年、川奈でC.H.アリソンの通訳・助手を務めたことがコース設計を志す直接のきっかけとなり、1931年には霞ヶ関カンツリー倶楽部に入会、アリソンによる改良工事の現場で設計・施工を学んだ。1935年、久里浜ゴルフ場で自身初の設計コースを開場している。
生涯で手がけたコース数は資料によって39とも42とも記載され正確な総数は確定できないが、いずれにせよ日本を代表する設計家の一人として、代表作は霞ヶ関カンツリー倶楽部(西コース、1932年開場。同コースは2020年東京オリンピックのゴルフ競技会場にもなった)、大洗ゴルフ倶楽部、龍ケ崎カントリー倶楽部(1958年開場)、大利根カントリークラブ、那須ゴルフ倶楽部、愛知カンツリー倶楽部、日光カンツリー倶楽部など多岐にわたる。
関西を拠点とした上田治と並び「東の井上誠一、西の上田治」「柔の井上、剛の上田」と称され、あらゆる技量のプレーヤーが楽しめる戦略性と、自然の地形を活かした設計が持ち味とされる。
コースガイド
茨木カンツリー倶楽部
1923年開場、日本プロゴルフ選手権の第1回会場を務めた歴史を持つ西日本の名門。戦前は東コース(デビッド・フッド設計、C.H.アリソンが改造に関与したと伝えられる)で日本オープンが3度開催され、戦後は井上誠一設計の西コースで3度開催された。2011年にはリース・ジョーンズにより西コースの改修が行われている。
大洗ゴルフ倶楽部
1953年開場、井上誠一が設計した茨城県大洗町の名門コース。松林に囲まれた丘陵地形に、戦略性の高いホールが並ぶとされる。7番・16番などが名物ホールとして紹介されることが多い。
龍ヶ崎カントリー倶楽部
1958年(昭和33年)開場、井上誠一が「立地条件は100点満点」と評したと伝えられる茨城県の名門コース。日本で初めてのオリジナル設計によるツーグリーンコードとされ、以後日本のコース設計でツーグリーンが主流となる契機になったとされる。
日光カンツリー倶楽部
1955年(昭和30年)開場、井上誠一が大谷川の旧河床を敷地に選んで設計したとされる栃木県の名門コース。表土が薄くバンカーを掘りにくい地盤のため、バンカー数を33ヵ所に絞り、自生する松をハザード代わりに活かした設計と伝えられる。
大利根カントリークラブ
1960年(昭和35年)開場、井上誠一設計の茨城県の名門コース。東コース・西コースの36ホールを有し、日本オープンゴルフ選手権・日本女子オープンゴルフ選手権など数々の主要競技を開催してきた。
東京よみうりカントリークラブ
1964年開場、井上誠一設計の東京都稲城市の名門コース。ゴルフ日本シリーズJTカップなどが開催され、国内のトーナメント開催コースで唯一、最終18番ホールがパー3という個性的な設計で知られる。
宍戸ヒルズカントリークラブ
1974年(昭和49年)10月10日、東コース18ホールが開場した茨城県笠間市の36ホールコース。井上誠一が用地の診断・選定に関わり、実際の設計は井上の弟子とされる発知朗に依頼されたと伝えられる。
戸塚カントリー倶楽部 西コース
1962年(昭和37年)10月11日開場、井上誠一設計の横浜市の名門コース。東コース(1961年開場、設計は間野貞吉と伝えられる)と合わせ36ホールを持つ。クラブハウスは建築家・丹下健三の設計で知られる。
武蔵カントリークラブ 豊岡コース
1959年(昭和34年)開場、井上誠一が生涯手がけた中でも最も評価が高いコースの一つとされる埼玉県入間市の名門コース。武蔵野の面影を残す林間コースで、ツーグリーンそれぞれが独立した攻略ラインとバンカー配置を持つ設計が特徴。
川崎国際生田緑地ゴルフ場
1952年(昭和27年)に9ホールが開場し、1954年(昭和29年)に18ホールが完成した井上誠一設計の川崎市のゴルフ場。1992年からは市民向けのパブリックコースとして運営されている。
愛知カンツリー倶楽部
1954年(昭和29年)開場、井上誠一が「地形が理想的で、松林など日本中探しても得難い」と評したと伝えられる名古屋市の丘陵コース。14番パー5「アパッチ砦」の戦略的な選択ホールで知られる。
南山カントリークラブ
1975年(昭和50年)仮開場、1976年正式開場、井上誠一設計の愛知県豊田市の丘陵コース。尾根と谷が入り組む岩盤質の用地に築かれ、6番・13番・14番・16番など個性的なホールで知られる。
瀬田ゴルフコース 東コース
1969年(昭和44年)開場、井上誠一設計の滋賀県大津市の名門コース。同倶楽部にはこの他、北コース・南コースがあり、東コースは18ホール・パー72・6,750ヤードの構成を持つ。
烏山城カントリークラブ
1973年(昭和48年)開場、井上誠一設計の栃木県那須烏山市の27ホールコース。「本丸コース・二の丸コース・三の丸コース」という城にちなんだ名称を持ち、距離7,000ヤード超のタフなレイアウトで知られる。
葛城ゴルフ倶楽部
1976年(昭和51年)9月開場、井上誠一が手がけた静岡県袋井市の36ホールコース。公式サイトでは2コースのうち「山名コース」が井上誠一設計と明記されている。自然の起伏や樹林を生かした雄大なレイアウトで、距離と正確性の双方が求められる戦略性の高いチャンピオンコースとして知られる。
霞ヶ関カンツリー倶楽部 西コース
1932年(昭和7年)6月12日開場、井上誠一が初めて手がけた設計作の一つとされる埼玉県川越市の名門コース。同倶楽部の東コース(1929年開場)とは設計者・開場時期がともに異なる。
瀬田ゴルフコース 北コース
1978年開場、井上誠一設計の滋賀県大津市の丘陵コース。地形上の制約から「行きっぱなし」の独特な18ホールレイアウトを採用し、ミズノクラシック・TOTOジャパンクラシックなど数々の女子プロトーナメントを開催してきた。
いぶすきゴルフクラブ
1968年開場、井上誠一設計の鹿児島県指宿市のチャンピオンコース。開聞岳山麓に位置し、カシオワールドオープンや2019年日本プロゴルフ選手権(石川遼優勝)など数々のプロトーナメントを開催してきた。
伊勢カントリークラブ
1965年開場、井上誠一設計の三重県玉城町の名門コース。尾根・谷・森・池を巧みに取り込んだレイアウトで「傑作の一つ」とも評され、日本アマチュア選手権など全国規模の競技会を開催してきた。
佐賀カントリー倶楽部
1971年開場、井上誠一設計の佐賀県の名門コース。筑紫次郎・佐賀平野・有明海を望む丘陵地に広がり、九州における井上誠一設計の代表作の一つに数えられる。
出典:Wikipedia日本語版「井上誠一」、霞ヶ関カンツリー倶楽部公式Digital Museum等をもとに構成。生涯設計数は資料により39/42と幅があるため確定していない。